舞台・ドラマ・映画と幅広く活躍し、多くの代表作を持つ俳優・岸谷五朗さん。存在感あふれる演技の裏には、学歴や学生時代の意外な一面が隠されています。
高校時代は“やんちゃ”な印象を持たれつつも、実は中央大学商学部に進学した高学歴の持ち主で、俳優を志すため中退という大きな決断をしました。
プライベートでは前妻の存在が噂されたこともありましたが、実際には再婚相手ではなく、プリンセスプリンセスのボーカル・岸谷香さんが妻として知られています。
二人の間には息子・蘭丸さんが誕生し、学歴や大学進学、さらに息子の画像や家族エピソードにも注目が集まっています。
また岸谷五朗さん自身の国籍や経歴、さらには息子・岸谷蘭丸さんの活動なども、多くのファンに検索されているポイントです。
本記事では岸谷五朗さんの学歴を中心に、家族や代表作までわかりやすく紹介していきます。
岸谷五朗の学歴は中央大学中退!と学生時代のエピソード
引用元:中日スポーツ
まずは岸谷五朗さんの歩みを、出身や育った環境から見ていきましょう。
実は韓国籍も噂されているのですが、実際の国籍や出身地、小学校・中学校でどんな毎日を過ごしたのか。
続いて、都立小平高校での部活動や当時のエピソード、そして中央大学商学部に進学してから中退を決めるまでの経緯へ。
代表作や芸能活動についても紹介していきます。
国籍は「韓国」って本当?東京のどこ出身?
引用元:Google map
岸谷五朗さんは、東京都武蔵野市の出身です。生まれも育ちも日本で、国籍も日本です。しかしインターネット上では「韓国籍ではないか」という噂が、たびたび広まってきました。なぜこのような誤解が生まれたのでしょうか。
その背景には、俳優として活動を始めた頃に演じた役柄が深く関係しています。
特に1993年公開の映画『月はどっちに出ている』では、在日韓国人のタクシードライバーを演じました。この作品は在日韓国人の葛藤や生活をリアルに描いたことで高い評価を受け、岸谷五朗さん自身も日本アカデミー賞の新人俳優賞を受賞しました。
観客に強烈な印象を残したことから、「本人も韓国籍なのでは」と一部で勘違いが広がってしまったのです。
実際には、岸谷五朗さんは日本国籍を持ち、日本で育った俳優です。韓国籍だという説は、あくまで作品での役柄や演技のリアリティによる誤解にすぎません。
むしろ、それほどまでに自然で説得力のある演技をしたからこそ、多くの人が心を動かされ、役柄と本人を重ね合わせてしまったとも言えるでしょう。
武蔵野市で過ごした小学校・中学校時代
岸谷五朗さんは、幼少期から東京都武蔵野市で過ごしました。
通った学校は、まず武蔵野市立大野田小学校。そしてその後は、武蔵野市立第四中学校へ進学しました。どちらも地元の子どもたちが通う地域に根差した公立校で、1970年代から80年代にかけて、岸谷五朗さんも友人たちと共に学び、過ごしたのです。
岸谷五朗さんの実家は、決して裕福な家庭ではなかったといわれています。
しかしその環境の中でも、小学生の頃は先生に通信簿へ「明朗活発活動家」と書かれるほど、明るく元気な性格でした。運動神経も良く、学年を代表してリレーの選手に選ばれることが多かったようです。走る姿を見ていた周囲からも、「エネルギッシュで頼もしい子」という印象を持たれていたといいます。
そんな小学校時代、岸谷さんが俳優を志す大きなきっかけとなった出来事があります。それは児童向け舞台劇「冒険者たち」を観劇した時のことでした。
インタビューで岸谷さんは「ノロイという悪役が山の頂に立った場面で、音楽や効果音、照明、役者の演技がすべて一体となる瞬間があり、『なんてかっこいいんだろう』と胸が震えた」と振り返っています。この体験が、後に俳優を目指す原点になったのです。
出身中学校は、東京都武蔵野市にある武蔵野市立第四中学校です。在学中には、2学年下にフジテレビのアナウンサー・奥寺健さんも在籍していたことで知られています。中学時代はサッカー部に所属し、スポーツにも一生懸命取り組んでいました。
また、母親が演劇好きだったことから、家庭が決して裕福でない中でも、岸谷さんとお姉さんを劇場に連れて行ってくれることがありました。ただし母親自身はチケット代を節約するために、子どもたちを中へ入れて自分は外で待っていたといいます。岸谷さんは後のインタビューで「母は姉と僕を劇場に入れて、自分は『用事があるから』と中には入らなかった。今思えばチケット代を気にしていたのだろう」と語っています。このエピソードからは、母親の愛情と同時に、当時の家庭の状況が伝わってきます。
小学校での演劇体験と、中学校で母に連れて行ってもらった劇場での時間。この二つの出来事が岸谷五朗さんの心に深く刻まれ、やがて俳優としての道へと進む大きな後押しとなりました。
高校は都立小平高校!有名な不良だった
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岸谷五朗さんの出身高校は、東京都立小平高校です。偏差値はおよそ58で、勉強も部活動も盛んな中堅校として知られています。
高校ではサッカー部に所属していましたが、バスケットボールが好きで一時的にバスケ部に在籍していたこともあるそうです。
ところが意外にも、高校時代は「不良」として知られていました。髪型はリーゼント、見た目も迫力があって「小平愚連隊」という地元グループの中心的存在だったそうです。当時のニックネームは「三多摩の五朗」。暴走族の集まりに顔を出すなど、かなりやんちゃな青春を送っていたようです。
ただし、ただの不良ではなく「正義感が強く面倒見もよい」タイプ。後輩からも慕われ、教師からも授業態度を評価されていました。「どうして不良なんだろう?」と不思議がられる存在だったそうです。
進路を考える頃には「そうだ、自分は舞台俳優になるんだった」とふと思い出し、本格的に役者の道を目指すようになります。それでも母親の勧めで大学進学も選び、中央大学に進むことになりました。
大学は中央大学商学部!中退の理由
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高校卒業後、岸谷五朗さんは自宅からも近い八王子にある中央大学商学部 に進学しました。中央大学といえば法学部が有名ですが、商学部も偏差値58前後とレベルが高い学部です。安定した将来を見据えて選んだ進学先だったのでしょう。
ところが、大学に入学してすぐ、岸谷さんの人生を大きく変える出来事が訪れます。俳優・コメディアンとして活躍していた三宅裕司さんが主宰する劇団「スーパー・エキセントリック・シアター(SET)」の入団試験に挑戦することになったのです。
当時の岸谷さんは、演技経験はほとんどゼロ。それでも「自分を見てもらいたい」という一心で、履歴書の写真にはなんと 特攻服姿 を選びました。周囲からすればかなり破天荒に映ったはずですが、その大胆さが岸谷さんらしさでもあります。さらにオーディションでは、未経験ながらも 一人芝居をやりきる という度胸を見せつけ、審査員の目に留まりました。
100人以上が応募していた狭き門を突破し、合格者はたった3人。その中のひとりに選ばれたのです。まさに運と実力、そして勢いを味方につけた瞬間でした。
劇団に入団後は、華やかな舞台に立つ…というよりもまずは地道な基礎訓練の連続。アクロバットやダンス、バレエといった身体表現の稽古に明け暮れ、筋肉痛と疲労で体が動かなくなることもあったそうです。俳優としての表現力を磨くには、厳しい基礎づくりが欠かせませんでした。
さらに、レッスン代や生活費をまかなうために、岸谷さんはアルバイトを掛け持ち。舞台の稽古を終えた後に夜勤に入ることもあり、睡眠時間を削って俳優の夢を追いかける日々が続きました。
その結果、大学での勉強との両立は次第に難しくなっていきます。授業よりも舞台稽古を優先するようになり、出席日数や単位の確保も困難に。最終的に岸谷さんは 中央大学を中退 し、俳優の道一本に絞ることを決断しました。
普通であれば「大学を卒業してから挑戦してもいいのでは」と考えるところですが、当時の岸谷さんにとっては一刻も早く舞台の世界に飛び込みたいという思いが勝っていたのでしょう。その情熱と覚悟が、後に大ブレイクにつながっていきます。
代表作と経歴の歩み
岸谷五朗さんは1大学在学中の1983年に三宅裕司さん主宰の「スーパー・エキセントリック・シアター(SET)」に入団し、舞台俳優として活動をスタートしました。
引用元:地球ゴージャス
その後、SETを退団し、寺脇康文さんとともに演劇ユニット「地球ゴージャス」を結成。舞台の企画・脚本・出演を一手に担い、斬新かつ華やかな舞台を届け続けています。
俳優として大きな転機となったのは、崔洋一監督の映画『月はどっちに出ている』(1993年)。在日韓国人のタクシードライバー役で主演を務め、ヨコハマ映画祭・高崎映画祭で最優秀新人男優賞を受賞し、一躍注目を集めました。その後も『平成無責任一家 東京デラックス』(1995年)、『犬、走る DOG RACE』(1998年)と主演作が続き、映画俳優として不動の地位を築いていきます。
また、舞台だけでなく映画・ドラマでも幅広く活躍。映画では『Returner リターナー』(2002年)、『クローズZERO』シリーズ(2007年・2009年)、『夜明けの街で』(2011年)、『帰ってきた あぶない刑事』(2024年)などに出演。ドラマでは『横山秀夫サスペンス』シリーズや『相棒 -劇場版-』などで存在感を示しています。
さらにNHK作品とも縁が深く、連続テレビ小説『てるてる家族』、木曜時代劇『ぼんくら』、大河ドラマ『江〜姫たちの戦国』『青天を衝け』に出演。2024年度の大河ドラマ『光る君へ』では、主人公・まひろの父という重要な役柄を演じています。
岸谷五朗の学歴だけでなく、妻や息子などの家族エピソードを紹介!
引用元:ORICON NEWS
ここからは、学歴だけでなく、ご家族についても見ていきましょう。
前妻の噂は本当なのか、実際の結婚歴はどうなのかを丁寧に整理し、長年連れ添っている岸谷香さんとの関係や、馴れ初めの背景を紹介します。
さらに、最近、話題急上昇の息子の蘭丸さんの学びと進路、検索が集まる画像の理由、そして妹の結香さんまで。
家族それぞれの挑戦と支え合いを、温かなエピソードとともに順番に見ていきましょう。
前妻の存在は?
岸谷五朗さんについて検索すると、たびたび「前妻がいるのでは?」という噂が出てきます。ファンの間でも「若い頃に一度結婚していたのでは?」「離婚歴があるのでは?」といった声がささやかれることがあります。
しかし、結論から言うと岸谷五朗さんに前妻は存在しません。公式に発表されている結婚歴は一度きりで、1996年に元プリンセス プリンセスのボーカル・奥居香さん(現:岸谷香さん)と結婚してから現在に至るまで、夫婦仲良く生活を続けています。
では、なぜ「前妻がいるのでは?」という噂が流れてしまったのでしょうか。いくつかの理由が考えられます。
まずひとつは、岸谷さんが俳優として数多くの作品で「複雑な家庭背景を持つ役」や「バツイチ男性の役」を演じてきたこと。特に映画『月はどっちに出ている』やサスペンスドラマなどで、リアルに人間の心情を表現したことから、「役柄=実生活」と勘違いされた可能性があります。俳優としての演技力が高いからこそ、プライベートと混同されてしまったのですね。
もうひとつは、インターネット上での情報の拡散です。芸能人のプライベートに関する情報は、時に憶測や誤解が事実のように広まってしまうことがあります。岸谷さんの場合も「前妻がいたらしい」という根拠のない書き込みが広まり、それが真実のように受け止められた部分があるでしょう。
実際には、岸谷五朗さんの結婚歴は 一度きり。1996年に結婚して以来、夫婦として長い年月を共に歩んでいます。詳しくは以下の記事でも紹介しています。
👉 岸谷五朗の前妻は存在する?奥居香との結婚歴と家族エピソードまとめ
再婚相手はプリプリ岸谷香
引用元:筑後いこい
岸谷五朗さんの妻は、伝説的なガールズバンド「プリンセス プリンセス」のボーカル・奥居香さんです。結婚後は「岸谷香」として活動を続けており、音楽ファンにはおなじみの存在ですよね。
プリンセス プリンセスは1980年代から1990年代にかけて大ブレイクした女性5人組ロックバンド。代表曲の「Diamonds」や「世界でいちばん熱い夏」は、今もカラオケで定番の名曲です。バンドは日本初の“女性だけのロックバンド”として東京ドーム公演を成功させるなど、当時の音楽シーンに革命を起こしました。
1996年に岸谷五朗さんと奥居香さんが結婚した時には、芸能界でも大きな話題に。俳優と人気バンドのボーカルという異色の組み合わせでしたが、互いの才能を尊重し合う姿が多くのファンに支持されました。
結婚後、奥居香さんはバンド活動を終え、家庭を優先する時期もありました。しかし子育てが落ち着いた後は「岸谷香」として音楽活動を再開。ソロライブやアルバム制作などを続け、現在も第一線で活躍しています。
岸谷五朗さん自身も、妻の活動についてインタビューで「僕も刺激をもらえる」「夫婦で違う世界を持っているからこそ、いい距離感で支え合える」と語っています。舞台や映画に全力を注ぐ夫と、音楽活動を続ける妻。互いに自分の道を歩みながらも、家庭を大切にしているのが伝わってきます。
また、子どもが誕生してからは家庭生活を大切にし、プライベートな部分は多く語られませんが、「岸谷家は温かい家庭」という印象を持つファンは少なくありません。お互いの仕事を尊重しつつも、しっかりと家族を支えてきたのだと感じられます。
芸能界では夫婦生活が長続きしにくいと言われる中で、岸谷五朗さんと岸谷香さんは 20年以上連れ添うおしどり夫婦 として知られています。再婚相手、というよりも「唯一のパートナー」と言った方が正しいでしょう。
岸谷香との馴れ初めと結婚秘話
引用元:Suponichi Annex
岸谷五朗さんと奥居香さん(現・岸谷香さん)は、1996年に結婚しました。奥居香さんといえば、ロックバンド「プリンセス プリンセス(プリプリ)」のボーカルとして大ヒットを飛ばし、日本中の女性に勇気を与えた存在です。
ふたりの出会いは、ラジオでの共演や音楽業界の仲間を通じた食事会がきっかけといわれています。当時すでに第一線で活躍していた奥居さんと、舞台俳優として知名度を上げつつあった岸谷さん。芸能界という厳しい世界で戦う同士として、自然と惹かれ合ったそうです。
交際を重ねる中で、お互いに「壁を乗り越えていく強さ」を尊敬し合う関係に。奥居さんは舞台で懸命に努力を続ける岸谷さんに支えられ、岸谷さんは奥居さんの音楽への情熱に大きな刺激を受けました。結婚を発表したときは、まさにビッグカップル誕生と大きな話題になりました。
現在も二人はお互いの活動を尊重しながら、公私にわたって強い絆で結ばれています。舞台・ドラマで多忙な岸谷さんと、音楽を軸に活動を続ける香さん。それぞれが「自分の場所」で輝き続けられるのは、互いの理解と支え合いがあるからこそでしょう。
息子・岸谷蘭丸の学歴と活動について
2001年7月7日、東京都に生まれた岸谷蘭丸さん。父は俳優の岸谷五朗さん、母は元「プリンセス プリンセス」のボーカルでシンガーソングライターの岸谷香さんという、芸能一家に育ちました。
幼少期には小児リウマチを患い、つらい闘病生活を送っていた蘭丸さんですが、10歳で新薬の治験を受けて少しずつ回復。その経験が「挑戦する大切さ」を強く意識するきっかけになったと語っています。
学歴と海外進学への挑戦
学歴はトキワ松学園小学校からスタート。その後、小学校受験で一度不合格となった早稲田実業学校に「中学受験でリベンジ合格」を果たしました。しかし、真面目な校風が合わなかったことから高等部には進学せず、中学3年のときに自ら「海外で学ぶ」という道を選びます。
ニューヨークのボーディングスクール(寄宿学校)に進学すると、最初は英語力不足で大苦戦。TOEFLで20点しか取れなかったところから、毎日朝から深夜まで猛勉強を重ね、わずか1年で留学生向けプログラムを修了。プリンストンにある別の高校へ編入し、成績優秀者として認められました。
その後、大学受験ではアメリカのフォーダム大学に合格するも一度は進学を辞退。浪人の末に、2022年イギリスの名門ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)とイタリアのボッコーニ大学に合格。最終的に、世界的にビジネスや経済分野で評価の高いボッコーニ大学へ進学しました。現在も大学で学びながら活動を続けています。
インフルエンサー・実業家としての活動
浪人時代の2021年からYouTubeやTikTokに「柚木蘭丸」の名前で登場。
留学体験や雑談を発信するスタイルが共感を呼び、フォロワー数は急増しました。2023年には海外トップ大学進学を目指す人向けの塾「MMBH」を設立。自らも通っていたLiberty English Academyと業務提携し、英語指導やエッセイ指導に力を入れています。
さらに2024年には、世界中の大学情報や留学生の体験談をまとめるプラットフォーム「留パス」を立ち上げ、留学を目指す若者をサポート。
メディアにも徐々に登場し、2024年にはABEMA『ABEMA Prime』で初出演。翌年4月にはTBS『Nスタ』で地上波デビューも果たしました。
現在とこれから
SNSを中心に発信する傍ら、教育事業や留学支援を手がける実業家として活動する岸谷蘭丸さん。両親の名前に頼ることなく、自らの努力で「自分の場所」を切り拓いている姿勢が、多くの若者の共感を集めています。
現在はボッコーニ大学で学びつつ、日本と世界をつなぐ教育ビジネスに挑戦中。これからさらに存在感を増していくことは間違いなさそうです。
息子の蘭丸の大学はどこ?
岸谷五朗さんと岸谷香さんの長男・蘭丸さんは、イタリアの名門・ボッコーニ大学に進学しています。
日本の早稲田実業中等部から、あえて高校はアメリカに進学。その後もイギリスやアメリカの有名大学に合格しながら、最終的にボッコーニを選んだのは「国際的な環境で実力を試したい」という思いからでした。
さらに最近のテレビ出演では「将来的には大学院進学も視野に入れている」と語っており、学問を続けながら教育事業やメディア活動も並行して取り組む姿勢を見せています。
自由と責任を同時に与える両親の教育方針が、こうした選択にも影響しているのかもしれませんね。
息子の画像と家族エピソード
岸谷蘭丸さんの名前には、特別な意味が込められているわけではないと、蘭丸さん自身が語っていました。
母・岸谷香さんが「最後に“丸”をつけたい」という思いから、響きの良さで「蘭丸」と名づけたといいます。父・五朗さんのイメージからすると少し意外にも思えますが、そこに家族らしい自然体のセンスが感じられます。
母・岸谷香さんは、音楽活動で華やかなステージに立つ一方で、家庭では日々のお弁当作りや習い事の送迎もこなす“スーパー母”。子育てと仕事を同時にこなしながらも、息子や娘のやりたいことを尊重し、自由と責任を同時に与えるスタンスを一貫して貫いてきました。蘭丸さんが海外進学を選んだときも、「やりたいなら応援する。でも結果は自分で出しなさい」という言葉で背中を押したといいます。
引用元:unlockthegirls
そんな家庭の中で育った妹・結香さんもまた、しっかりとした考えを持った女性に成長しています。
詳しい活動内容は公表されていませんが、音楽や芸術への関心が強いといわれ、母・香さん譲りの感性を感じさせる存在です。蘭丸さんは以前、SNSで「妹は僕より冷静で大人っぽい」と語っており、兄妹ならではの信頼関係が垣間見えます。芸能一家という枠を超え、それぞれが自由に生きながらも強い絆で結ばれているのが岸谷家の魅力といえるでしょう。
こうした家族の支えがあるからこそ、蘭丸さんは金髪にピアスという個性的な見た目でありながら、イタリアの名門・ボッコーニ大学で学び、教育事業を立ち上げるというギャップある姿で注目を集めています。
検索で「画像」とともに名前が調べられるのは、この見た目と学歴のコントラストに人々が惹かれるからでしょう。本人も「20代のうちにスターになりたい」と語っていますが、その“スター”の定義は単なる人気者ではなく「新しい価値観を示す希望の星」。
実は蘭丸さんは、将来的に「政治家になりたい」と公言しています。教育や社会の在り方に強い関心を持ち、自ら事業を興した経験を糧に、いずれは政策の場で社会に新しい風を吹き込みたいと考えているのです。教育の自由や挑戦の大切さを伝えながら、「こんなやり方もありだ」と次の世代に希望を示すこと。それは彼の言う“スター”像そのものであり、母・香さんが音楽で新しい価値観を築いたように、蘭丸さんもまた政治や社会の分野で新しい道を切り拓こうとしています。
まとめ~岸谷五朗は都内・武蔵野出身!不良だけど高学歴!
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東京都武蔵野市出身である
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小学校・中学校時代から明るく活発な性格だった
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都立小平高校に進学し、部活動にも熱心に取り組んだ
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高校時代から人を楽しませることが得意だった
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卒業後は中央大学商学部に進学した
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商学部の偏差値は58程度で学力も必要とされた
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大学1年生で俳優の道を志すきっかけを得た
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三宅裕司主宰の「スーパー・エキセントリック・シアター」に入団した
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入団試験では特攻服姿で一人芝居を披露した
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100人以上の応募者の中からわずか3人の合格者となった
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入団後はアクロバットやダンス、バレエなど厳しい稽古を受けた
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生活費とレッスン費用をアルバイトで支えた
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舞台稽古に打ち込み大学との両立が難しくなった
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中央大学を中退し俳優業に専念する道を選んだ
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初舞台では端役から経験を積み重ね演技力を磨いた
岸谷五朗さんの学歴や学生時代をふり返ると、決して順風満帆ではありませんでしたが、自分の夢を見つけて真っすぐに進んできた姿が伝わってきます。
大学を中退してまで舞台に打ち込んだ経験は、その後の大きな飛躍につながりました。学歴だけでなく、努力や挑戦の積み重ねが、今の岸谷五朗さんをつくり上げているのではないでしょうか?