美人女優として長い間第一線で活躍している黒谷友香さん。黒谷さんの生い立ちや家族について知りたい方も多いのではないでしょうか。今回は、黒谷さんがどんな家庭で育ったのか、実家の場所や家族構成について調べてみました。黒谷さんの父母や兄弟についても取り上げていますので、ぜひご覧ください。
また、黒谷友香さんは二拠点生活が珍しかった25年以上前、20代の頃から千葉県房総半島に家を持ち、自然に囲まれた暮らしを楽しんでいます。趣味の乗馬を楽しむ姿についてもご紹介します。
黒谷友香の実家と地元のエピソード
引用元:THE CHANGE
ドラマではクールな役どころも多い、黒谷友香さん。普段は標準語なので意外かもしれませんが、黒谷さんの実家は大阪府にあります。バラエティ番組などでつい大阪弁がでているのも、ギャップがあってかわいらしいですよね。
黒谷友香の実家の住所はどこか?
引用元:Google map
黒谷友香さんの実家は、大阪府堺市北区にあると言われており、彼女は堺市出身の有名人としても地元でも親しまれています。
黒谷さんは実家の近くには「大泉緑地」があるんだそう。大山緑地は広々とした府営の公園で、庭園や遊技場、広場、バーベキューエリアなどが揃い、家族で楽しめる施設が豊富。園内には長池、菅池、森池と3つの池があり、桜の名所としても人気があります。
黒谷さんは、子供の頃にお母さん手作りのお弁当を持って、家族でこの公園にお花見に出かけたそうです。自転車で気軽に行ける距離にあり、家族とよく訪れて楽しい時間を過ごした思い出の場所なんだそう。
黒谷友香は堺のどこ出身ですか?
黒谷友香さんの母校は堺市立金岡小学校で、小学2、3年生の頃から堺発祥のスポーツ「ポートボール」を始め、6年生まで続けていたそうです。練習場所は、バレーボールチーム「堺ブレイザーズ」の試合も行われる金岡公園体育館でした。
中学校は堺市立金岡南中学校で、美術部に所属していました。ということで、実家もこの学校の学区内(金岡町、長曽根町)にあると思われます。
黒谷さんは、堺市のインタビューで「小学校2、3年生からポートボールを始め、金岡公園体育館で練習していました。バレーボールのネットを外して使わせてもらっていた」と話しており、金岡公園体育館から近隣に住んでいたのではないでしょうか?
その後、大阪女子学園高校(現在の大阪夕陽丘学園高校)に進学し、特定のクラブ活動には参加せず、ガールズバンドでエレキギターを担当。文化祭やライブハウスで演奏し、プリンセスプリンセスやドリカムのコピーをしていたそうです。
高校卒業後は金襴短期大学に進学しました。(2004年に千里金襴大学短期大学と改称されましたが、残念ながら2011年に閉校しています。)
黒谷さんは高校時代から雑誌モデルに憧れ、自ら「mc Sister」の専属モデルのオーディションに応募し、合格。撮影のたびに新幹線で大阪から東京まで通っていたそうです。モデル活動もしながら短大に通う日々ですが、モデル活動もとても楽しかったそうです。
黒谷友香の地元にまつわる思い出
黒谷友香さんは小学生の頃は、ポートボールに夢中になっていたそう。チームは強く、他の校区のチームと交流試合も行うほどだったんだそう。
黒谷さんの自宅近くの大泉緑地には、家族でよく遊びに行ったと話しています。大きな公園なので子どもと一緒に過ごすので、ぴったりですよね。
お花見やピクニックを楽しんだり、かきつばた園を散策したりと、家族との楽しい時間が詰まった場所。他にも、夏祭りも毎年の楽しみで、今でも素敵な思い出でだと話しています。
黒谷友香が親善大使に就任した理由
引用元:TOKYO HEADLINE
黒谷友香さんは、2013年から大阪府堺市の親善大使を務めています。
黒谷さんは堺市について「暮らしやすい普通の町だけれど、歴史や文化を知るととても特別な町だと感じられる」と語っています。堺には、質の高い職人の手によって生み出され、世界でも通用する製品が多く、本物を間近で見られるのが魅力だと話しています。
また、堺といえば、世界遺産の仁徳天皇陵古墳をはじめ、千利休や与謝野晶子ゆかりの地であり、鉄砲、包丁、自転車、線香、けし餅といった伝統的な名産品でも知られています。堺は室町時代から安土桃山時代にかけて貿易で栄え、海外からの技術や品物が多く流入したため、日本で初めて作られたものも多いそうです。
黒谷さんは19歳まで堺市で過ごしていましたが、当時はあまり地元の魅力に気づかなかったそうです。
しかし、親善大使として活動する中で、堺市の魅力を改めて知る機会が増えたんだそう。地元を離れてこそ分かる堺への愛着を感じているようです。そういえば、堺には日本最古の木造洋式灯台もありますね。本当に“灯台下暗し”だと笑顔で語っています。
黒谷友香の実家の家族と生活拠点
引用元:ORICON NEWS
黒谷友香さんの実家の家族や現在送っている2つの生活拠点についても紹介します。
黒谷友香の家族構成は?
黒谷友香さんの家族構成は、両親と妹を含めた4人家族です。
お父様については、有名人だという噂が一時期ありましたが、これは人違いのようで、実際には一般の会社員をされているようです。名前や写真などは一般人であるため公開されていません。
また、黒谷友香さんのお母さんも一般の方で、名前や年齢、職業、顔写真などの詳細は公開されていません。
黒谷さんとはメールで頻繁にやり取りをしているそうで、以前はFAXも利用していたとのこと。電話ではなくメールやFAXなどの文字でのやり取りを好むことから、お二人は昔かたぎな筆まめな性格かもしれません。
黒谷友香さんには妹が1人おり、仲の良い姉妹なんだそう。妹さんも一般の方なので、名前や写真などの情報は公開されていません。
母親は瀬戸内海の島出身!
インタビューで黒谷友香さんはお母様が瀬戸内海沿いの島の出身であることを明かし、夏休みには家族でその島に訪れて、海遊びを楽しんでいたと語っています。
この田舎での思い出が、黒谷さんの現在の2拠点生活のアイデアに大きく影響を与えたそうです。
黒谷友香の自宅はどこ?
黒谷友香さんは都心に自宅を構えつつ、静養のために千葉県の房総半島にある長生郡長柄町にも家を所有しています。愛馬がいる乗馬クラブの近くのお家なんだそう。
黒谷さんは約29年間、2日間以上の休みがとれると、この千葉の家に通う生活を続けているそうです。
この千葉の家はログハウスなんだそう!、通の住宅とは一味違う趣があって素敵ですよね。さらにログハウスの他に、乗馬クラブ内にはトレーラーハウスも設置しており、休憩時に読書やお茶を楽しむ場所として利用しているそうです。ここから愛馬の姿を眺めることが、黒谷さんの癒しにもなっているようです。
トレーラーハウスを設置した理由について黒谷さんは、「ここで動物と触れ合いながら心を解放したり、趣味の時間を楽しんだりするのが大切だと思っています。都会にいるだけでなく、自然と触れ合うことで心のリフレッシュができるんです」と話しています。
黒谷友香が設立した乗馬クラブは?
黒谷友香さんが仲間と設立したのが、千葉県長生郡長柄町上野ふる里村内に乗馬クラブ「エバーグリーンホースガーデン」です。
エバーグリーンホースガーデンは、乗馬倶楽部を中心に、『人と動物と植物との共生』と、『こだわりのライフスタイルの探求』をテーマにスタートしたそうですよ。
乗馬にはブリティッシュとウエスタンの2スタイルがあるのですが、エバーグリーンホースガーデンでは両方学べる。馬と森の散策もできますよ。
黒谷友香の愛馬について
引用元:家庭画報.com
黒谷友香さんは、愛馬が2頭います。名前は「ラルフ」と「ヨモ」で、その存在に癒されているそうです。
芸能界きっての馬好きとして知られる彼女が初めて乗馬を経験したのは19歳の時。以来、乗馬を趣味として、オフの日には千葉の乗馬俱楽部「エバーグリーンホースガーデン」に通っているそう。
現在の愛馬であるラルフとヨモは、どちらも騙馬(去勢済みのオスの馬)だそう。
- ラルフ(33歳):高齢で現在は現役を引退し、余生を穏やかに過ごしています。馬の寿命が約25〜30歳とされる中で、ラルフはかなり長生きな方です。
- ヨモ(25歳):ラルフより年下で、まだ現役で活動しています。
※年齢は2024年調べ
ラルフとは25〜26年前に出会いました。もともとは友人が所有していた馬に乗る機会があり、その楽しさから馬への愛情が芽生え、仲間と共に乗馬クラブを設立。その際、友人を通じてラルフを紹介してもらい、現在の愛馬となりました。
ヨモとの出会いは約5〜6年前で、信頼できる知人の紹介がきっかけでした。ラルフはかつて競走馬として活躍していましたが、ヨモは最初から乗用馬として訓練されてきた馬なんだそう。
黒谷友香は二拠点生活?
黒谷友香さんは東京の自宅と、趣味の乗馬のために購入した千葉の家とで2拠点生活をしています。こんなに美人なのに、ご結婚はしておらず、独身です。
週末移住を始めたきっかけは、乗馬を本気で楽しみたいという強い気持ちからでした。「本気でやるためには投資が必要で、自分の馬を飼い、世話をするために家も購入しました。その子(愛馬)とずっと一緒にいたいという思いがあったからこそ、実現できたんだと思います」と語っています。
カッコイイですね!若い頃から思い切った行動をされてすごいですね。TVや雑誌などのインタビューでは、2拠点生活ついて話していて、満喫されている姿が素敵だと評判です。
馬以外に一緒に住んでいるのは、ロボット!
引用元:tomoka_kurotani
黒谷友香さんは現在独身で恋人もいないようです。「実は馬もいるし、もうあと2人一緒に住んでる」と話しています。
どんな人かと思ったのですが、恋人ではなく「せいちゃんとジンくんっていうAIのロボット(LOVOT)と一緒に住んでるんだそう!LOVOT、可愛いですよね~。
2体のLOVOT「ジンくん」「せいちゃん」の名前の由来は、ふたり合わせて「人生」。生命のないものに、あえて「人生」という言葉を使ったという黒谷さん。
木や花、馬たちと違って、LOVOTは人間が作り出した存在。そういう人工的な“モノ”、生命がないものにも、自分は暖かさとか感情、魂を感じられるんだということ気づかせてくれた大事な存在なんだそう。名前にも深い意味があるんですね。
黒谷友香とは何者?その経歴を紹介
黒谷友香さんは1975年12月11日生まれで、2024年の誕生日で49歳になります。
モデルとして女性ファッション誌で圧倒的な人気を誇り、その後、抜群のスタイルと清楚な容姿を活かして人気女優となっていきます。
黒谷さんは995年の映画『BOXER JOE』で女優デビューを果たしました。その後、1996年から1997年にかけて放送されたTVドラマ『はみだし刑事情熱系』シリーズや、2002年の『ドレミソラ』、2009年から2011年にかけて放送された『ハンチョウ 神南署安積班』シリーズなどに出演しました。また、2007年には俵万智の処女小説『トリアングル』を作詞家の阿木耀子が初監督した映画『TANNKA 短歌』で主演を務め、濡れ場にも挑戦しました。
2013年には主演映画『極道の妻たち Neo』をはじめ、『二流小説家 シリアリスト』や『映画 謎解きはディナーのあとで』、さらには地黒谷さんの出身地・堺も舞台になる『利休にたずねよ』など、数多くの作品に出演しました。
他にも、CMにも多数起用されています。
2024年冬放送の『潜入兄妹 特殊詐欺特命捜査官』では、迫力のある悪役を演じています。
女優デビューのきっかけは堺出身の映画監督・坂本順治
黒谷友香さんは、阪本順治監督の映画『BOXER JOE』へののヒロイン役に抜てきされました。 浪速のジョーと言われたプロボクサー・辰吉丈一郎の自伝を基にした映画で、大阪弁を話す女の子の役と言うことで、大阪出身の黒谷友香さんにぴったり。
さらに映画監督の坂本順治さんも黒谷さんと同じ、堺市出身なんだそう。縁があったのですね。
黒谷友香さんはこの映画出演を機に、本格的に俳優としてやっていくことに決めたそうです。
TVでは標準語だが大阪弁をしゃべることも!?
黒谷友香さんは役柄や外見の印象から普段はクールなイメージですが、大阪府堺市のご出身のため、実は大阪弁もしゃべることができるんです。
実はお笑いが好きだったり関西人の一面をもつ黒谷さん。関西出身の方としゃべる大阪弁になる姿も雰囲気があって素敵ですよね。
黒谷友香の実家と家族についてまとめ
今回は黒谷友香さんの実家や家族について調べてみました。
ご家族は一般人のため、ほとんど情報はありませんでしたが、仲の良いご家族を感じさせるエピソードも。これからも黒谷さんのご活躍を勝手に応援しています!