若い頃から東宝映画で活躍した美人女優の星由里子さん。加山雄三さんの代表映画「若大将」シリーズの相手役としても知られています。後年は「科捜研の女」母親役などでも人気を博していました。
つねに第一線で活躍してきた星由里子さんですが、私生活では3度の結婚し、息子がいるそうです。星由里子さんの家族関係について調べてみました。
星由里子の息子は連れ子だった?家族関係を解説
引用元:yahoo!ニュース
星由里子さんには子供がいるのでしょうか?
星由里子さんは3度の結婚を経験していますが、自ら出産した子供はいません。ですが、星さんの3番目の夫彼女・清水正裕さんとは再婚同士。清水さんと前妻の間には、息子・善満さんがいます。
連れ子、義理の息子として一人、清水善満さんがいらっしゃいます。
星由里子の3度の結婚歴と子供について
星由里子さんは、10年以上前から交際をしていた横井邦彦さんと1969年に初めて結婚しました。 横井邦彦さんは、ホテルニュージャパンのオーナーである横井英樹さんの息子です。 結婚式はもちろんホテルニュージャパンで盛大に行われましたが、挙式からわずか80日後に離婚となり、話題を呼びました。
その後、星さんは1975年に脚本家の花登筺(はなと こばこ)さんと再婚しますが、1983年に死別してしまいます。
3度目の結婚は7年後の1990年。お相手は一般男性の清水正裕さんです。
星由里子さんは芸能活動は順調なものの、「男運が悪い」とも言われていました。
星由里子の再婚相手・清水正裕と息子の関係
1990年に星由里子さんは京都在住の一般人の清水正裕さんと再婚しました。
二人は当時どちらも46歳。清水さんも星さんと同じようにパートナーである妻と死別しており、前妻との間に息子が一人がいました。その息子が義満さんです。
横井邦彦との結婚と離婚後の子供の有無
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星由里子さんは1969年に大物財界人で買収王とも言われた「ホテルニュージャパン」創業者・横井英樹氏の長男、横井邦彦さんと結婚しました。
盛大な披露宴はもちろん「ホテル・ニュージャパン」で行われました。 披露宴には政財界の要人ら1500人が招待され、ウエディングケーキの高さは8メートルにものぼり、宴は5時間以上も続くという豪華さ、この時の星由里子さんは25歳で、女優として人気絶頂の頃でもあり大きな話題になりました。
しかし、結婚生活はわずか80日で終わりを迎えてしまいます。星由里子さんと横井邦彦さんは、10年以上の交際を経て結婚しましたが離婚することに。
離婚報道で星さんは「お騒がせして申し訳ないとあやまるばかりです」とやつれたの姿で記者会見に応じたもの、具体的な離婚の理由は明かしませんでした。横井さんと星さんの間にはお子さんはいませんでした。
その後、横井邦彦さんは事業不振などもあり、2008年に65歳で自ら命を絶っています。
2度目の結婚相手は有名脚本家・花登筺で略奪婚
1人の目の夫・横井邦彦さんとわずか80日で離婚した星由里子さんは、6年後の1975年に脚本家の花登筺(はなと・こばこ)さんと再婚しました。花登さんは1983年に肺がんで55歳の若さで亡くなってしまいます。
星さんは舞台にも活躍広げた際、劇作家で演出も手がける花登筺さんの指導を受ける。花登さんはテレビドラマ「番頭はんと丁稚どん」など、人情喜劇やど根性ものを書かせれば右に出る者はいない売れっ子で、以前は自らの劇団も主宰していました。
1970年花登さんの原作、脚本、演出を手掛けた「細うで繁盛記」に星さんが主演します。花登さんは星さんよりも15歳年上で、師とあおぐような関係でした。そこから恋仲になりお母さんと二人で暮らす星さんの自宅に、花登筐さんが入り浸り状態となったそう。
当時花登さんには自身が以前主催していた劇団「波の会」の主演女優である妻(宝塚歌劇団出身の女優・由美あづささん)がいました。二人は劇団でのごたごたがあり最後は不仲であったと言われます。
1974年に不倫報道がなされ、1975年に花登さんと由美さんの離婚が成立したことで、星さんと再婚することができました。
離婚するまでには時間がかかったのは由美さんが、花登さんと星さんと再婚しないように言っていたとか…
そんな状況の中、1975年4月に石川県片山津温泉でゴルフコンペが決まって、星さんも急遽参加することになりました。 現地に到着した星さんは、参加者達がゴルフを終えて戻ってきましたそして、コンペ後の表彰パーティーが始まり、突然大広間に赤い毛氈(もうせん)と金屏風が用意され、仲間たちの計らいで、星さんと花登さんの結婚式がサプライズで行われました。
この結婚式は事実上の結婚式となり、後に星さんが記者会見で話しています。
しかし、結婚から8年後の1983年9月、花登さんは体調不良を一時入院。右肺に水がたまっていることがわかり、末期の肺がんと診断されました。亡くなる2日前まで仕事を続けていたと言われています。
花登さんは仕事を第一に考えるタイプ。気が短いところがあって、役者にもきつくあたることも多々あったそう。そんな中でも、星さんは素直な性格で、スター女優であるにもかかわらず、こまごまと世話を焼いていたんだとか。
星さんが30代の時の結婚となりますが、花登さんとの間に子供ができることはありませんでした。
星由里子の息子と連れ子説について
星由里子さんには、善満さんという息子がいます。しかし星さん自身が産んだ子供ではなく、3番目の夫である清水正裕さんの連れ子となります。
清水さんと星さんとは再婚同士で、清水さんには前妻との子供(善満さん)がいました。再婚当時は学生だったそう。
1990年に旅行代理店の役員である清水さんと結婚した時、二人は同い年の46歳。星さんは清水さんとの間に子供を産むことは、年齢的に難しかったのではないでしょうか。
星由里子の息子・善満さんの情報と噂
星由里子さんの義理の息子である善満さんも一般人のため、詳細な情報は公表されていません。
後に、東京で仕事する際は、善満さんの家に泊まっていたとのこと。義満さんはの就職先は東京だったようですね。血のつながりがないとはいえ、良好な親子関係を築いていたことが伺えます。
星由里子の息子とのエピソードと現在の状況
引用元:NHKアーカイブス
星由里子さんの最後の夫となった清水正裕さんや息子さんとの関係を中心に見ていきましょう。
星由里子の旦那・清水正裕との生活
星由里子さんと清水正裕さんは、どちらも再婚同士です。清水さんの母親・はるゑさんは以前女優をしており、大女優の山田五十鈴さんの付き人をしていたこともあったそう。星さんと清水さんのお母さんは1988年の山田五十鈴さん主演の『香華』という舞台で出会い、仲良くなりました。清水さんと出会う前から、お母さんと旧知の仲だったんですね。
星さんは結婚後は、清水さんの住む京都で、清水さんと清水さんの母と同居しました。再婚当時は息子の義満さんも学生だったため、一緒に暮らしていたようです。猫ちゃんも一緒に住んでいたそうですよ。犬を飼っていたこともあったそう。
清水さんは一般人のため普段メディアに出ることはありませんでしたが、星由里子さんの通夜のインタビューで「おふくろは98歳で存命なんですが、『夫婦げんかをしたら家を出ていくのはあなたよ』と言われていたくらい、よく世話をしてくれた」とはなしています。「世間では大女優といわれますが、掃除やご飯、私やおふくろの世話と、本当によくしてくれた。私にとって星は宝です。宝物がなくなってしまった。」と話しています。
星さんは料理などは苦手だったそうですが、妻として母として一生懸命家族を支えていたのですね。
清水さんと結婚後は、仕事がある時だけ東京に行くスタイルを取っていたそう。お母さんが女優だったこともあり、芸能活動にも理解のある清水家で、仲良く生活していたようです。
星由里子の実家と家族背景について
星由里子さんは、本名は清水由里子さんと言い、5人兄弟の末っ子として東京都神田で生まれました。
実家は神田鍛冶町で乾物屋を営んでおり、星さんは小さな頃から自転車で配達を行っていたそうです。小学校6年生の時に父親ががんで他界しました。
下町育ちの星さんは子供の頃はお祭りでおみこしをかつぐのが好きで、地元のお祭りにも積極的に参加していたんだとか。
星さんは子供の頃から、姉の影響で宝塚に憧れていたそう。1958年、星さんが14歳の時に東宝が開催された「ミス・シンデレラ娘」コンテストで優勝し、芸能界にデビューしました。 「八重歯のシンデレラ」というキャッチフレーズで注目を集め、映画『すずかけの散歩道』で銀幕デビューを果たし、同タイトルの曲で歌手デビューも同時にしています。
デビュー後、スタッフの助言で八重歯を矯正した星さんは、痛みを乗り越え、「絶対に一人前の女優になって、20歳までに家を建てよう」と決意を固めたそうです。
こんな風に思うのも、ひとり親で金銭的にも苦労することもあったのかもしれませんね。
星由里子の現在と息子との関係
星由里子さんは2018年5月16日74歳で亡くなっています。現在は、3番目の夫である清水正裕さんの京都にある菩提寺に眠っているようです。
息子さんは一般人のため詳細はわかりませんが、現在40代~50歳くらいでしょうか。
星由里子は肺がんだった?その病気とは
病気を抱えながらも、倒れる寸前まで女優として活動していた星由里子さんは、2018年5月16日に他界されました。死去から2日後の5月18日、所属事務所である東宝芸能が正式であるに死因を公表しました。
東宝芸能は星由里子さんについて「病気療養中のところ、心房細動および肺がんのため、5月16日午後11時5分、京都市内の病院で74歳にて逝去しました」と報告しました。
星さんは以前に2回の心臓の手術を受けており、2018年4月に行った2度目の手術前の検査で突然肺がんが見つかり、ステージ4(全身にがんが広がっている)と告知されたそうです。
星さんは肺がんのほかに心房細動を患っていました。心房細動は心臓の上部心房が小さい刻みに強い、心臓の機能が低下する病気です。 症状としては動機やめまいがありますが、場合によっては自覚症状がないこともあるそう。
心房細動の原因として、ストレスや高血圧、そしてカフェインの過剰摂取が挙げられることがあります。
星さんはトクホ認定のコーヒーを愛飲しており、CMにも出演していたことがあります。コーヒーが好きで飲みすぎたこと(カフェインのとりすぎ)が病気の原因では?といった噂もあります。
星由里子の死因と晩年の病気
星由里子さんは、2度目の心臓の手術が行われたのは2018年4月5日。その時の検査で肺がんが見つかり、5月2日にステージ4と診断しました。星さんには肺がんの自覚症状はかったものの、5月7日に急遽入院しています。
星さんは心房細動と肺がんの療養中、亡くなる直前まで普段通りに食事をとっていて、大好物の杏仁豆腐も食べていたそうです。
夫の清水正裕さんは、通夜のインタビューで「16日の夕方も、病室で夕食のカレーを一緒に食べた。妻は『喉が通りづらい』と言いながらも、3さじほど食べてくれた。(亡くなったのは)その夜でした」と最愛の妻の最期を振り返っています。夜に10分ほど息苦しい状態が続き、星さんを正裕さんが抱きかかえるように支えた状態で息を引き取ったそう。
星さんは2017年秋に心房細動と診断されましたが、治療を続けながら病気を公表せずに仕事を続けていました。 2018年3月には新作映画2本に出演し、3月下旬には所属事務所「東宝芸能」の親親会で旧友たちと再会するなど、芸能活動を続けていました。
星由里子の葬儀と旦那・息子の様子
引用元:スポーツ報知
2018年5月16日、74歳で亡くなった星由里さんの通夜は親族や近親者のみ約20名で執り行われ、葬儀・告別式は、5月20日に京都市内の寺で親族をはじめとして約200人が最後のお別れの挨拶をしました。
喪主である夫の清水正裕さんによると、棺の中には星さんが愛用していたスカーフや、北海道での映画撮影時に着用していた毛糸の帽子、そして亡き愛犬リュウとの写真など、思い出の品が納めたと語っています。また、星さんが好きだった「とらや」の羊かんなども一緒に添えられました。「冥土への道中が長いので、これでおなかは減らないでしょう」とのこと。星さんが深く愛されていたことがわかりますね。
葬儀は清水家の菩提寺で行われ、星さんにもそこに納める予定とのこと。
その数か月後、2018年9月14日には、東京の帝国ホテルで星由里子さんを偲ぶ会が執り行われました。 この会には『若大将シリーズ』で共演した加山雄三さんをはじめ、北島三郎さんや女優の司葉さんなど、芸能関係者を中心に220人名も参加されました。
加山雄三さんは、星さんの死をまだ受け止められないと語り、天国の彼女に向けて「君といつまでも…」というメッセージを送りました。また、ハワイでの撮影現場を思い出し、星さんのおかげで今の自分があると感謝の言葉と「どうか安らかにお休みください」と語りかけました。
星由里子の息子についてまとめ
星由里子さんには息子さんが一人いますが、実子ではなく、再婚相手である清水正裕さんとの連れ子という関係です。ですが、家族仲は良好だったようです。
星由里子さんのご冥福をお祈り申し上げます。